浮世離

水面に浮上してほんのつかの間の息継ぎ。心象風景がほとんど。

緑色の夜に

全然見つからない。見つからないけれど探す。どうしたって会いたいから。ほんの少し、微々たる痕跡を探して歩く。僅かな希望。大半の絶望。あなたは森の匂いがした。深緑に染まった森の匂いがした。しんと静まった夜の気配がした。

 

行方知れずになりたいはずだったのに、どうしてか人探しばかり。

春の宵

春風がセーラー服の裾を乱した。制服の青白さ不吉さが匂いたった。襟元の紺色に映る少女の色の白さを見るたび、私は線香の匂いを嗅ぐ。

どこかから線香の香りが流れて来、濡れたような緑が耳にもうるさく、アスファルトからの照り返しが眩しい夏が死に一番近いことは分かっている。しかし、春の曖昧でぼんやりした空気も彼岸に似つかわしくはないだろうか。朧月夜を眺めて歩き続けたらきっと神隠しにあう。

人には持って生まれた宿命のようなものがあるのだ。つらつらと考えながら歩く。自然に逆らうことは果たして罪だろうか。罪は甘い味がする。危ないことが分かっていてそれでも何も言わずに黙っているということ。それを共犯と人は呼ぶ。道徳という概念を振りかざしても、心に巣食っている滑らかな蛇はもう動き始めているのだ。もっとしっかり縛りつけてくれなくては。と叫びたくなる。磔にして指一本動かせぬほどに私を縛りつけておいてほしい。

 

湯が冷えて水になる。黒髪が濡れて冷えてしまう。眠気が黒い川へと誘う。白い百合のように流れていく。

平家物語 古川日出男版

生き生きとした文体に驚く。祇王祇女仏とじのところなどは、源氏物語の鈴虫を思いだす。これを読んでいたら原文にも当たりたくなる。学生の時にこれを読めていたら違ったなと思う。平家物語はなにかを失うのが怖いとき、どうせいつかすべて失うのだと悲しくなったとき、何度でも読みたくなる。

平熱の京都 鷲田清一

疲れてたかぶってる脳を休めたくて、本屋に入って文庫を買う。鷲田清一の「平熱の京都」一気に気分は京都の界隈をふらふらふわふわ散歩してるように。なめらかな日本語がすらすらっと頭に入ってくる心地よさ。よそ行き他人顔となんだか憎めない顔両方で京都が誘惑してくる本です。時々挿入されてくる、なんとも言えないノスタルジー、心細さ、世界が裏返ることに対する恐れと期待が、鷲田清一の本を読んでる感を強くする。

浮遊霊ブラジル

浮遊霊ブラジル、読了。

運命には、意表を突かれた。そうして僕らが生まれたのだとしたら、死ぬときもやはりそんなものなのかもしれない。つまり、うっかりとか、思ってないとか。

アイトールベラスコの新しい妻、では、スクールカーストという閉鎖的な空間で起こる地獄が描かれた。

地獄では、こんな地獄死ぬより辛いと思ったけれど、誰とも話さずだんだん意識だけが遠のいていくのは、結構現実味のある死に方のような気がする。

結局私達は今まであるスキルで生きてくしかない。死ぬからって、急に文学的になったり、賢くなったりしない。今あることの延長で、僕らは生きることにも死ぬことにも向き合わなきゃいけないってことだ。

タイトル読んだときに感じた強烈な違和感。浮遊霊とブラジルが読み終わる頃には仲良くてを繋いでいるのが不思議であり大成功だと思う。ブラジル辺りまで行ったら確かに成仏できそうだ。

最も強く感じたこと、死ぬより成仏できないほうがずっとずっと怖い。

手痛い批評

誰彼の面白い話なんぞいうのはもういい
聞きあきた
誰かを微笑ませたい?
そんな欲をもつ者は地に落ちればよい
聞きたいのは如何にしてあなたが生きているのか
あなたが心を踊らせるなにかであって
操作的な自己顕示的な偽善のようなものではない
短く言葉にしてすらすらと
この際自分を語るのもやめにしたらどうか
ゆるくつながるなんて吐き気がする
それなら誰とも一緒にいないことで結構だ