川をわたる
ああ。
あなたの悲しき幻燈(vision)だけが
真に私を許し慰めてくれるのだ。
川を渡る。
川を渡る。
プラチナの瓦礫でできた
ざらつく表情を見せる
そこだけ凍った川を。
嘆いても嘆いても
流れ去り凍りついた水の表から
思唯の一片をもうかがい知ることはできない。
それらはすべて遠い過去に過ぎ去ったことである。あじさひも曼珠沙華も菊の幽霊も一切が水の底に沈んで帰ってこなかった。あるのは遠いゆらめき。かつて在りし日の声。
全ては遠い過去に、ぶりきのそしてらじうむのせるろいどのぴかぴか光る、手をふって別れた人の幾分か変質の見られる 声である。
声は白っ茶けてしまい、面影を伝えてはくれない。しかし僕はそれを抱き締めて思い出のよすがにするしか他に方法がない。
僕らは永遠に(そして永久に)一人である。
ただあなたの悲しき幻燈の面影をよすがに、今日も川をわたる。
一切を振り捨てんとして。
脱ぎ捨てた衣を川に流すべくして。
川の表は今日も静寂であり、神秘の蒼をそこ深く湛えているのみである。
今日も一人で
川をわたる。
川をわたる。
九鬼周造 随筆集に関して
九鬼周造は、学生時代読んだ「いきの構造」で知った。いきの構造はそれ自体完成された論文であり、具体例を挙げて日本文化の根底を成す「いき」について記述し、かつ具体例に溺れない理論があると感じていた。
今回随筆を読んでみる気持ちになったのには、先だって鷲田清一の「平熱の京都」で、九鬼周造が大学で教えている時にも、祇園から人力車を走らせていたとか、お茶屋遊びで紅茶をオーダーして いたとか、いうエピソードを読んで興味を持ったということが大きい。風流人というか文人というか哲学者であるより前に、洒脱で洗練ということに大きな重きを置いている人だったであろうことが興味深かった。「茶の味」岡倉天心と九鬼の母との関係にも興味をそそられた。
随筆を読んでまず感じたのはその言葉の美しさだった。そして正確さ。自ら感じたことを記述として残そうとするため、正確であろうとする努力がみえる言葉選び。それが最も自分を引きつけた。読後、誰かとこの随筆について語り合いたい気持ちに焦りを感じた。そのようなことができる知り合いに恵まれていないのが自分の不幸といえば不幸である。
「祇園の枝垂桜」という有名な随筆中で、九鬼は祇園の枝垂桜を美の神に例え、「この美の神のまわりのものは私にはすべて美ですべてが善である」と言い切っている。枝垂れ桜の周りで踊る老若男女をみて「なんと美しく善いことだろう」という。「一銭 もいらずに誰でもが飛び入りで踊って遊べるのは」と。そして「どこの誰とも知らないみんなの幸福をこころの心底から祈らずにいられない気持ちになった」と結んでいる。踊る人を見て、この刹那生きる苦労を忘れて、みんなが一体になって、今を感じる。そのこと自体が幸福でなくなんであろうか。私はこの随筆を読んで、春の前ではみんな同じで、それはいつでも誰しもの身近にあるのに雑事の前、簡単に見落とされており、桜という自然 の神の前では人という他人を一番近くに感じられるのだということを教えられたようで、胸がいっぱいになった。
また、「書斎漫談」の中では、随筆を書くということの難しさについて触れられている。九鬼は、モンテーニュを引き、「私はただ自分の思索を目標としている。ただ自分だけを検査し研究している。」という言葉をひき、自分を正直にさらけ出して書くことは、善悪両方でなくてはならず、本当によい随筆は無名または匿名で なければいけないのではないかと述べている。よほど注意していないと、人間はすぐに自己を正当化し美化し偽善に陥るからである。これは正に言い当てている。
「青海波」では、新春について述べ「青は無限を表現する色、明るい媒体も通して暗を見れば青を生ずるという色彩論者がある、魂の光を通じて無限へ憧憬を投げれば青い色が感覚されるに違いない」とする。「波の数は無限だいつどの波間に溺れても大差はない」と。これはも う随筆ではなく詩だと思う。その感覚に溺れてゆきたいと思わせる言葉の波間だ。
「小唄のレコード」も「祇園の枝垂桜」に通じるものがあると思った。
「小唄を聴いていると、なにもどうでもよくなる」という九鬼自身の発言が述べられ、それを聞いた無極氏が「我々がふだん苦にしていることなどはみんなつまらないことばかりなのだ」と言う。ここにいるみんなは「無の深淵の上に壊れやすい仮小屋を建ててすんでいる人間たちなの だ」と感じたという。そうなのだ。だから人間はどんな立派でもどこか寄る辺なく寂しく、葦のように運命のたやすい風にそよぎ、今ここを生きるしかないのだろう。それだからほかの人間に対する想像力が働くのであろうし、嘆きつつも今この生を生ききるしかないのだろうと感じる。祇園の枝垂桜のような高揚感はないが、他の人とこの感じを共有する、その意味において両随筆は似通っていると感じる。
また一番美しいと感じたのは、 「秋」という作品だ。秋の金木犀をかぐと「私が生まれたよりもっと遠いところへ。そこではまだ可能性が可能性のままであったところへ」と運ばれるようだ、とある。そして
美しい踊りの名手、祇園の美しい女たちが肺を病んで死んでゆくのを見るのはしのびないというエピソードが語られる。美しいものは滅びやすい。滅びやすいから美しいのかと思うほどである。燐が燃え上がるような青白い光を帯びて美しいものは燃え上がっていずれ 跡形もなくなってしまう。美しかった記憶だけを残して。美しいものを失いたくないという九鬼の絶望的な願いがしみじみと反響するような作品だ。私は秋の寂しさを感じさせるこの作品が最も好きだ。
可能性、偶然性、それにもてあそばれるとしても、哲学を教養を生活を全てを吸収し、思索し、生きた哲学者の記録であると感じた。
萩原朔太郎 さびしい人格 について
何度読んでも実に寂しく、その上、二人だけの秘密を育んでいるような甘美な詩である。
永遠に手に入れられない雲を掴むがような詩に対する憧れは、どれほどの努力をして高い山に挑もうとも、容易に手に入れることはできない。たとえ、どのような惨めな思いをして登り切っても、そこではただ「ぼうぼう」と風が叫んでいるだけなのだ。どれだけ切り取ろうと、どれだけ飾ろうと、言葉はまた 何かを掴みそこね、また次にやってきた言葉を今度は見逃してしまう。
朔太郎は、そのような同士として、まだ見知らぬ友に呼びかけているようである。時に大きな声で。時にささやくような親密な声で。
必ず最も甘美なのは、一人の縁者をも持たない、二人の孤児なのであって、詩を求める心を持つものは凡てこの精神の孤児といってよいのかもしれない。寂しいから声を上げて仲間を呼ぶのだ。
その寂しさを時代を隔てた私たちが詩を通して共有できることは一つの幸福である。
青森挽歌 宮沢賢治
春と修羅を新幹線でパラパラとみていた。
青森挽歌に目が釘付けになり危うく涙が流れそうになってしまった。
今は亡き人に対する哀惜の思いを表現した詩は数あれどそれらの中で、最も強く、強く刺さってきたからだ。賢治の詩の中でも「永訣の朝」は大変有名だが、教科書的な感想しか抱けなかった。でもこの詩は違った。
中でも、あの子はここを通っていったんだろうか、こんなことを感じたんだろうかといった類の言葉は、今はただそう思ってみることしかできない人に対する最大の想像であり、もう二度とあってはなしたりできないのだと痛感させられる。
みんなみんないい場所に行ったのだとそう願いたいというこれ以上ないほどの哀惜の念で詩は終わる。
いまは会えない世界一大切だった人に捧げる詩だ
。最大級の哀惜の詩だと感じた
。今はもう会えないということを認めるのがどれほどつらく悲しいことかよくわかる
。これ以上人を愛することを率直に歌う歌というのををみたことがない気がした。