浮世離

水面に浮上してほんのつかの間の息継ぎ。心象風景がほとんど。

首飾りの夜

『夜氣の濃い夜には香水が肌に染み易くなるので婦人方はご注意を』とラジオが言ふ。 天花粉を塗りつけた首筋に、それより白き月長石の首飾りを。 紅色の濃き脣に、百合のをしべを當てて、戀が叶ふといふおまじなひ。 夕暮れに目覺めた時、ほんの僅かにあの人…

贅沢な石

贅沢品とは本質的に余分なものだ。あってもなくてもかまわないものだけれど、あると持ち主が幸せになれる。私は無駄なものが好きだ。そこから何も受け取れないものが。 受け取ろうとした瞬間からそれは生産的なものになってしまうから。贅沢品はただそこにあ…

廃墟を愛す理由

廃墟が好きでいくつも見て来た。廃墟の中でも最も切なく悲しいのは、やはりラブホテルだと思う。ラブホテルが廃墟になる姿を見ると、全て物事は浮世の短い一瞬であるとしみじみ思う。生きるということは全く儚いと思う。人を愛しいと思う気持ちも、永遠とい…

静夜

薄紅に藍が重なって、蜂蜜色に透き通った闇がやってくる。 夜は音がよく聞こえる。遠くから鈴の音。 空気は泡を含んだように淡くなり、月の光だけが鮮明だ。 沈みこむような、宙に浮くような、頼りない懐かしい感覚。 夜の博物館には、今日も月光が差し込む…

ノスタルジア

夏の暮れ方に佇むものたちはなぜか心細そうだ 老人も買い物帰りのお母さんも犬も しっかり現実に掴まっていないとそのまま攫われそうだ 薄い桜色と菫色の空をゆっくりと雲が流れていく 路地裏では子供が隠れんぼしている 見つからない子は置いてくよ 淋しが…

人ではないもの

それは押し出すようにして吐き出された言葉 感覚をつかみ損ねる 距離をつかみ損ねる そのようにして私はいつも一人である 永遠に一人の中に閉じこもる 孤独だからただ言葉を捜している 私はここにいるけれど同時にここにいない もう喪われてしまったものに対…

待宵草

オレンジの花を踏み潰す女学生の足元。 柔らかい咽喉の皮膚が拍動に息づいている。 薄青い風が吹く。 瓦礫の山が秘密基地。 紛い物の指輪を今でも交換したいと思ってくれているかな。 暮れ方の湿気が髪の香りを包む頃、朧月を探しに出る。

緑色の夜に

全然見つからない。見つからないけれど探す。どうしたって会いたいから。ほんの少し、微々たる痕跡を探して歩く。僅かな希望。大半の絶望。あなたは森の匂いがした。深緑に染まった森の匂いがした。しんと静まった夜の気配がした。 行方知れずになりたいはず…

春の宵

春風がセーラー服の裾を乱した。制服の青白さ不吉さが匂いたった。襟元の紺色に映る少女の色の白さを見るたび、私は線香の匂いを嗅ぐ。 どこかから線香の香りが流れて来、濡れたような緑が耳にもうるさく、アスファルトからの照り返しが眩しい夏が死に一番近…

平家物語 古川日出男版

生き生きとした文体に驚く。祇王祇女仏とじのところなどは、源氏物語の鈴虫を思いだす。これを読んでいたら原文にも当たりたくなる。学生の時にこれを読めていたら違ったなと思う。平家物語はなにかを失うのが怖いとき、どうせいつかすべて失うのだと悲しく…

平熱の京都 鷲田清一

疲れてたかぶってる脳を休めたくて、本屋に入って文庫を買う。鷲田清一の「平熱の京都」一気に気分は京都の界隈をふらふらふわふわ散歩してるように。なめらかな日本語がすらすらっと頭に入ってくる心地よさ。よそ行き他人顔となんだか憎めない顔両方で京都…

浮遊霊ブラジル

浮遊霊ブラジル、読了。運命には、意表を突かれた。そうして僕らが生まれたのだとしたら、死ぬときもやはりそんなものなのかもしれない。つまり、うっかりとか、思ってないとか。アイトールベラスコの新しい妻、では、スクールカーストという閉鎖的な空間で…

手痛い批評

誰彼の面白い話なんぞいうのはもういい 聞きあきた 誰かを微笑ませたい? そんな欲をもつ者は地に落ちればよい 聞きたいのは如何にしてあなたが生きているのか あなたが心を踊らせるなにかであって 操作的な自己顕示的な偽善のようなものではない 短く言葉に…

虞美人草を読んで 夏目漱石

道義と一個人としての利益。人間の信頼・信用とは一体何かという古く新しい問いに立ち戻らせてくれる小説である。他人に対して、信じられない行いをしたものは、その後も人に対する疑念がぬぐい去れない。自らを鏡のように転写するのが常人であるからである…

公園の裏手に

松林の間を薄紅色の睫毛が匂う しなやかにしなだれて誘う 夜の時間は自らを去るように幻惑的で 昼の時間は潮騒のように揺らめいている ガラスでできた海月が発光して漂う ここはまるでガラスでできた博物館 どの生命も同等に展示されているのだ まつげに当た…

悔やむ日

君が帰ってきたような気がして窓の外を見る あるのはただ風に吹かれて転がった如雨露だけ 細い枝を鞭のように唸らせて風はただ吹きすぎる その風は萩を揺らし麦を揺らし真白な月を掠め今しがた君のところから吹いてきたばかりのように思える 大空は寒として…

私信(と言っても読んでもらえることはない)

あなたが遺したテキストを今ごろになって読んでます。あの頃は、あなたを好きだと言いながら、あなたの文章を真剣に読んではいなかった。そう今は痛感します。あなたが好きな詩を私も好きだということが、ただ嬉しかった。あなたが選ぶ言葉一つ一つが、輝い…

サカナクション讃歌

ある日、FMから聞いたことあるはずのに、聞いたことない曲が流れてきて、驚いた。その前の週もどこかで聞いたような、それどころか20年くらい前も聞いたことがあるような。正確には、これはシンディーローパー的80年代、と思った。だけど、よくある曲だった…

車窓から

暖炉で静かに燃える石炭のような空と 垂れ込める鬱屈とした鈍色の雲の間を君が行く 西に向かう少年 こうして僕らはすれ違ってしまうのかな パッと燃え上がる新しい薪 新鮮な空気 橙色を映した頬を持つ少年 ゆったりとほら空を飛んでいくよ 君をとどめておく…

今日も知らない街で

遠くにいる知らない人が水を揺らす気配に心を奪われている。 川縁の静かな呼吸。 透明な水は流れ流れ。 白い息とたぶん暗い星空。 欄干に凭れて君は見るだろう自由の空。 僕は遠くからそれを感じる。 どこにいくも何をするも自由の君は憧れ。 僕の代わりに走…

心葉 ―平安の美を語る― に関して

白畑よしさんと志村ふくみさんの対談をまとめた心葉という本を読んだ。表題の心葉という言葉を、寡聞にして知らなかったが、この本を通じて、平安貴族の繊細な美の感覚の一端に触れられたように思う。心葉とは、贈答の際に品物につけた草花や造花のこと。平…

岡倉天心 茶の本 第五章 芸術鑑賞 より

岡倉天心の著した茶の本から、美に関して考えさせられる記載があったので、記録しておきたい。岡倉は、「美術の鑑賞力は、修養によって増大することができるものである」としているが、「われわれは万有のなかに自分の姿を見るに過ぎないのである」とも述べ…

叫びたいこと 萩原朔太郎と中原中也

萩原朔太郎の、小説家の俳句、という小論を読んでいて、詩人の本来ということを考えた。この小論は、主に芥川龍之介の残した俳句について述べたものだ。文人の余技であるとか、なかなか手厳しいことを述べていると思う。芥川の作品は全体に作り込まれたもの…

伏見

蛍光灯のチラチラする影と 虫のはぜるパチパチというおと あれは夏だったんだろう延々続く幽玄な鳥居 どこにもたどり着けないまま 森から出てこられなくなるような 神様への手向けものの馬と 白い敷石のジャリジャリという音 自分が見ているのか見られている…

閉ざされた壁の向こう側で

言葉が意味をもつ どこまで世界を理解できるのか 問いかけてくる ありとあらゆる言語で 善を美を真を虚を 叫びかけてくる お前の理解はそこまでかと 問いかけてくる 真に正しい在り方はどのようなものかと 僕は答える 知りうる限りありとあらゆる言語でしか…

薔薇とナイチンゲールとひよどり

力をなくした時、サアディのこの詩を思い浮かべることがある。 「花瓶の薔薇がそなたに何の役に立とうわが薔薇園から一葉を摘みとれ薔薇の生命はわずかに五日か六日わが薔薇園は永遠(とわ)に楽しい ―サアディ「薔薇とナイチンゲールとひよどり」 始めてこ…

シーシュポスの神話

学生時代、教授に読むべきと薦められたものの、他のことにかまけて、放置してしまった一冊。手に取ってみると、シーシュポスの神話自体は、8ページほどの短編だった。 読後の感想。 不条理な世界に対して、自らの意志でもって、「それでよしと」と言い続ける…

ブラームス ピアノ小品 116~119

最近ピアノ曲ばかり聞いている。 グレン・グールドのゴルドベルク変奏曲や、ブラームスのピアノ小品など。 特にブラームスの後期ピアノ小品116が好きでずっと聞いている。 叩きつけるように激情的だったり、深い憂いに沈みこんだり、かと思うと少しユーモラ…

紺の真昼

気がつかないうちに過ぎていてほしいとさえ思うのは贅沢なことなのだろうか 君は濡れた絹の冷たさで私を見ている 気がつかないうちに終わってほしいとさえ思うのは望みすぎなのだろうか 君は磨いだ月のような鮮烈さで私を見ている 今はただ音楽のなかでまど…

芝不器男

あなたなる夜雨の葛のあなたかな 白藤や揺りやみしかばうすみどり夜、入浴中などに、しとしと雨が降ってくると、芝不器男の句がふっと思い出される。向こうの向こうに思い出されるのは故郷なのかあの人の横顔なのかなと思ったりする。白藤の句は、一昨年、藤…