浮世離

水面に浮上してほんのつかの間の息継ぎ。心象風景がほとんど。

惡の華 読了

押見修造さんの惡の華を読み終わった。
数年前、この作品がとっても好きで、一時期はどっぷりはまってた。

特に、仲村さんと佐伯さんが出てくる前半から中盤にかけての息詰まる展開。漫画でここまで新しい表現に出会えるんだと胸躍り、毎回新しいページを繰るのが楽しくてならなかった。ひたすらな田舎とたいして中身のないクラスメートと。どうしようもない閉塞感を抱えて、自分を理解する人は皆無なんじゃないかという孤独感と優越感に浸ってる。この田舎街ではわかりあえる人なんか、誰もいないんじゃないかって孤独。目に見えて不良になるわけでもなく、あからさまに反発する訳じゃなく。でも、確かにある自分は世界に相容れないという感覚。もう限界と思う、その時に、行き詰った自分に風穴を開けてくれる二人の女の子が現れて、決められているように見える常識と言う名前のルールを、一緒に次々と破ってくれる。切迫感と、切なさと、解放感と。他者と関わることで、自分以上のものが引き出されていくような、開かれていくような高揚感があった。
読んでいて、あの頃確かに自分は春日であり、仲村さんであり佐伯さんであったという確かな実感があった。

限りなく映画的なんだけど、キャラクターセッティングも含めて、これを漫画でやったのは素晴らしい試みだったと思う。

前半中盤がとても素晴らしかったから、後半の高校生編は凡庸に感じてしまった。佐伯さんや仲村さんの世界から、日常にソフトランディングするためには必要な物語だったのかもしれないけれど。春日も大人の一人の人間として適応したってことで、物語が成仏するために必要だったのかもしれないけと。個人的には、高校生編や成人後の話はなくてよかった。もっとドラマティックに、終わりは想像させるような方がよかった。

だって誰でも大人になってしまうんだし、お話はお話でいいんじゃないかって思いがあるから。それくらい、押見修造さんはこの物語に個人的な思い入れがあったのかなと思ってしまった。

自分の中では月光の囁きと並び立つ素晴らしい作品だった。