浮世離

水面に浮上してほんのつかの間の息継ぎ。心象風景がほとんど。

萩原朔太記念館訪問

萩原朔太郎のことは、あまりよく知らなかった。教科書に載っている竹という詩しか読んだことがなかった。

最近、帰郷という詩を読んで、その成り立ちを知ってから、興味を持つようになった。この詩を読むと、故郷に帰らざるを得なかった詩人の悔しい気持ちがよく伝わってくる。故郷に帰ったら、東京にいるときの何倍も、自分は漂白者であるという現実を突きつけられるのがよくわかっている。自分の力不足で、またやむを得ない事情により、一度は捨てた故郷に、家にもどらなくてはいけない。現実に対する敗北である。この詩は口語体で書かれており、感情を表現するためには、この方法しか取りえなかったこと、またそれは自分にとって明らかに退却であったと、朔太郎後に述べている。しかしそれであるからこそ、こんなにも直接に心に響く詩になっているのだろう。

朔太郎の書斎が再現されてあったが、日本の近代詩の名作の数々が生み出されたその場所は、想像した以上にこじんまりとしていた。三越に誂えさせた机の取っ手や蝶番が、今でもある種の風格を漂わせていた。なんだか朔太郎がふいっと出てきそうで、そしたら案外気軽に話しかけたりできそうで、少し嬉しくなって、松の間から仰ぎ見る空は真っ青。