浮世離

水面に浮上してほんのつかの間の息継ぎ。心象風景がほとんど。

ルドゥーテ展


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ルドゥーテ展に行ってきた。
自然を丁寧に観察して素晴らしい絵を描いた人という印象を持っていた。でも、今回初めて知ったのは、作品は銅版画に着色という形をとっていたこと。
絵画だとばかり思ってたが、それはほんの数点で、版画がほとんどだった。分業で仕上げたらしいことも、初めて知ったことだった。ただ、浮世絵とかの版画と異なる点は、刷られた数で、ほんのわずかだったものもあるらしい。学芸員さんに尋ねてみてよかった。

絵の実物は本当に細密で、ため息が出るほど美しかった。薔薇の匂い、花粉の匂いが、漂ってくるようだった。花びらのビロードの手触りが伝わってくるようだった。なかでも、薔薇と菫は素晴らしかった。獣皮紙という、白く滑らかなキャンバスに描かれた、小さな菫の絵が特に美しかった。本物が浮き出してるみたい。手にとって触れそうなくらい、柔らかい菫の産毛まで感じ取れた。

ルドゥーテは、大変な浪費家で、金策に困って、100花選を出したと、学芸員さんに聞いたけど、ルドゥーテがいたら、美しい菫を残してくれてありがとう、と言いたいなと思った。

菫は200年後の今も、日本の私の庭に咲いている。ルドゥーテが美しいと感じたのと同じ質量と輝きで存在してる。200年という歳月を飛び越えて、その感動が伝わってくるのは素晴らしいことだと思った。

私たちという個体はいつか滅んでしまう。菫は(たぶん)永遠だ。美しい瞬間を、ピンで蝶を留めるように、標本のようにとどめたのが、ルドゥーテなのかもしれない。