浮世離

水面に浮上してほんのつかの間の息継ぎ。心象風景がほとんど。

青森挽歌 宮沢賢治

春と修羅を新幹線でパラパラとみていた。
青森挽歌に目が釘付けになり危うく涙が流れそうになってしまった。
今は亡き人に対する哀惜の思いを表現した詩は数あれどそれらの中で、最も強く、強く刺さってきたからだ。賢治の詩の中でも「永訣の朝」は大変有名だが、教科書的な感想しか抱けなかった。でもこの詩は違った。
中でも、あの子はここを通っていったんだろうか、こんなことを感じたんだろうかといった類の言葉は、今はただそう思ってみることしかできない人に対する最大の想像であり、もう二度とあってはなしたりできないのだと痛感させられる。
みんなみんないい場所に行ったのだとそう願いたいというこれ以上ないほどの哀惜の念で詩は終わる。
いまは会えない世界一大切だった人に捧げる詩だ
。最大級の哀惜の詩だと感じた
。今はもう会えないということを認めるのがどれほどつらく悲しいことかよくわかる
。これ以上人を愛することを率直に歌う歌というのををみたことがない気がした。