浮世離

水面に浮上してほんのつかの間の息継ぎ。心象風景がほとんど。

萩原朔太郎 さびしい人格 について

何度読んでも実に寂しく、その上、二人だけの秘密を育んでいるような甘美な詩である。

永遠に手に入れられない雲を掴むがような詩に対する憧れは、どれほどの努力をして高い山に挑もうとも、容易に手に入れることはできない。たとえ、どのような惨めな思いをして登り切っても、そこではただ「ぼうぼう」と風が叫んでいるだけなのだ。どれだけ切り取ろうと、どれだけ飾ろうと、言葉はまた 何かを掴みそこね、また次にやってきた言葉を今度は見逃してしまう。

朔太郎は、そのような同士として、まだ見知らぬ友に呼びかけているようである。時に大きな声で。時にささやくような親密な声で。

必ず最も甘美なのは、一人の縁者をも持たない、二人の孤児なのであって、詩を求める心を持つものは凡てこの精神の孤児といってよいのかもしれない。寂しいから声を上げて仲間を呼ぶのだ。

その寂しさを時代を隔てた私たちが詩を通して共有できることは一つの幸福である。