浮世離

水面に浮上してほんのつかの間の息継ぎ。心象風景がほとんど。

萩原朔太郎 さびしい人格 について

何度読んでも実に寂しく、その上、二人だけの秘密を育んでいるような甘美な詩である。

永遠に手に入れられない雲を掴むがような詩に対する憧れは、どれほどの努力をして高い山に挑もうとも、容易に手に入れることはできない。たとえ、どのような惨めな思いをして登り切っても、そこではただ「ぼうぼう」と風が叫んでいるだけなのだ。どれだけ切り取ろうと、どれだけ飾ろうと、言葉はまた 何かを掴みそこね、また次にやってきた言葉を今度は見逃してしまう。

朔太郎は、そのような同士として、まだ見知らぬ友に呼びかけているようである。時に大きな声で。時にささやくような親密な声で。

必ず最も甘美なのは、一人の縁者をも持たない、二人の孤児なのであって、詩を求める心を持つものは凡てこの精神の孤児といってよいのかもしれない。寂しいから声を上げて仲間を呼ぶのだ。

その寂しさを時代を隔てた私たちが詩を通して共有できることは一つの幸福である。

青森挽歌 宮沢賢治

春と修羅を新幹線でパラパラとみていた。
青森挽歌に目が釘付けになり危うく涙が流れそうになってしまった。
今は亡き人に対する哀惜の思いを表現した詩は数あれどそれらの中で、最も強く、強く刺さってきたからだ。賢治の詩の中でも「永訣の朝」は大変有名だが、教科書的な感想しか抱けなかった。でもこの詩は違った。
中でも、あの子はここを通っていったんだろうか、こんなことを感じたんだろうかといった類の言葉は、今はただそう思ってみることしかできない人に対する最大の想像であり、もう二度とあってはなしたりできないのだと痛感させられる。
みんなみんないい場所に行ったのだとそう願いたいというこれ以上ないほどの哀惜の念で詩は終わる。
いまは会えない世界一大切だった人に捧げる詩だ
。最大級の哀惜の詩だと感じた
。今はもう会えないということを認めるのがどれほどつらく悲しいことかよくわかる
。これ以上人を愛することを率直に歌う歌というのををみたことがない気がした。

むらさきのまち  

旧友の家を訪ねていったら廃屋になっていた。厳重に釘付けがされていて、見る方もない。庭には真っ青な紫陽花が猛々しくはびこっていて、目に痛かった。 庭で生まれて初めてほんものの沙羅の花を見た。掌に載せると、白い花はひんやりして、しっかりした固さをもっている。夕刻になれば、椿のように首からぽとりと落ちて、無残な姿を晒す。

 

私達は慣れるしかないのだろう。失うことにも得ることにも。

 

はる

花が薄闇にふうわりと白紫に浮かんでいた。

桜色ではなく、薄闇を映してほのかに水色に。

ひらひらではなく、ぽたり、ぽたり、と首から落ちる花房。

掌に拾いあげてじっと見る。

ぼんぼりが一つまた一つと灯っていく。

青い空に白い月。

つつましく艶やかな花に橙の光。

しいんとしているのでなく、五月蝿いのでなく、人々の声。ざわめき。綿あめを作るぶぅん、という音。

飴菓子かじって花を見た。

古くより花の散るを惜しむ歌は数多く作られている。

散る花だから美しく、愛される。ということ。

今日で最後になるなんて、と思うことが何度あるのだろう。

別れはいつも美しくなってしまうので、嘘の記憶を作っているようで寂しい。

本当はとても美しいものをいつもいつも、見逃しているだけなのかもしれないけれど。

ひりひりした現実に、この花も生きている。

幻燈

全部なかったことなのかもしれないけれど、時々思い出す。

その習慣だけが残っている。

 帰宅途中、空を見上げると、桜色と空色が橙に溶け合って沈んでいくのが見えた。

それらは絡まりあって、やがて銀色の水盤となり、漆黒の闇に浮かび上がるのだろう。

やはり、西方には極楽浄土があるような気がしてくる。

鼻の先が冷たくなって、冬のにおいがしている。

風に髪を弄られて、夜が来るのを感じる。

ふとあなたがここにいたらどう感じるのだろうかと考える。

空を染めるのは夕焼け。

肌を透かしてみる血の色のようだ。

暖かく、白く、柔らかい女が流れていく。

空はそれからサファイヤを燃やしたような色に変わり、乳白の月が昇って、花びらの香りを振りまきながら、夜を深める。

眩暈

ぷっつりと途切れるときには途切れてしまう。

なんだか死ぬときみたいだと思う。

ここ数年で身を包み込む濃密なゼリーのようなものはうっすらとしたオブラートに代わった。

日の光を浴びるとひりひりと痛む皮膚を抱えて生きている。

変わらない事はないはずだと念じる。

そのくせ変わらないということを願っている。

永遠はどこにもない。わかっているはず。

 

言葉は段々とその広がりをなくした。

イメージが手に負えなくて途方にくれることもなくなった。

漠然としたものを漠然としておけるようになった。

それと同時に彩を欠いた。

 

夏の日の残光が部屋に薄く差し込む。

この光もやがてすぐに消えてしまうだろう。

私は私の掌に一つとして掴めなかったことを悔いるだろう。

手を離さなければよかったというのではない。

向こうから離れていってしまったのだ。

私が何一つ正確に捉えられないうちに、流れていってしまった。

それでも私は、それを掴まえてみようと、精一杯足掻くべきだったのかもしれない。

 

足元の柔らかい花蕾を踏み潰して、半分だけの月を見る。