薔薇とナイチンゲールとひよどり
力をなくした時、サアディのこの詩を思い浮かべることがある。
「花瓶の薔薇がそなたに何の役に立とう
わが薔薇園から一葉を摘みとれ
薔薇の生命はわずかに五日か六日
わが薔薇園は永遠(とわ)に楽しい
―サアディ「薔薇とナイチンゲールとひよどり」
始めてこの詩を読んだ時、本当の豊かさとはこういうことかと感じた。
そして、永遠に楽しいではなく、永遠に美しいと、誤読した。
美しい薔薇園を心の内に持つ人は、一葉摘み取られたくらいでは、なんでもない。
それはしっかりと根を張り、美しい緑の葉を持ち、蕾を満々とつけているのだから。
そして季節が巡ってもまた同じように蕾をつけ、芳香を漂わせる、美しい花を降らせる。
薔薇の命は短くとも、薔薇園は永遠なのである。
シーシュポスの神話
学生時代、教授に読むべきと薦められたものの、他のことにかまけて、放置してしまった一冊。手に取ってみると、シーシュポスの神話自体は、8ページほどの短編だった。
読後の感想。
不条理な世界に対して、自らの意志でもって、「それでよしと」と言い続けること。そのような行為を通じてのみ、世界は押し付けられたものではなく、自分がまさに切り拓くべき場になる。自らの意志による全肯定によってのみ、不条理に翻弄される受動的な人間ではなく、主体として世界を理解し、関与することが可能になる。その地点では、苦しみも喜びのための一歩になりうる、とカミュは言っているように感じた。そのようなシフトのチェンジによってこそ、苦難を乗り越えられ、喜びを得られるのかもしれず、それが本当に生きるということなのかも知れない、と感じた。